名古屋の大同病院環境衛生課ゆかりの皆さんと

 名古屋での研究打ち合わせの後で、藤田医大に講師として戻る前に3年間在籍した宏潤会大同病院ゆかりの方々とホテルキャッスルホテルで会食いたしました。大同特殊鋼の病院としてはじまった大同病院の当時名誉理事長で、日本の産業衛生学の泰斗である故皿井進先生をはじめとする皆さんに多くのことを教わりました。皿井先生に言われたことの一つです。

「タバコを吸っても癌にならないひとがいるように、騒音環境下でも難聴にならないひとがいるよね。君はそのことを研究をしたまえ」。

 想い出深い名古屋キャッスル綺麗でしたね。立て替え予定と聞いて愕然としました。

 

 

JUGEMテーマ:ドライノーズ

 

大学とクリニックの狭間で(その2)

 大学とクリニックの狭間で 地区医師会会誌への寄稿文(その2)

 

医療情勢に眼をむけます。12年前と違うことは、都会ではどこでもある競合クリニックの存在とチェーンクリニックの勃興でしょうか。
 クリニック選びをスーツ選びに例えてみました。スーツを買うことにしましょう。近年、都内の耳鼻科新規開業の半分はチェーン店といわれていますが、スーツにもチェーン店があります。皆さんはチェーン店に行きますか。あるいは、デパートのオーダーサロンに行きますか。はたまた、専門店にいきますか。
 安く簡単に済ませようと思えばチェーン店に行きますよね。ただ、高級なものを求める場合、デパートに行くことをまず考えてみると思われます。ただ、いい生地が見つかっても誰が作るのか顔がみえません。その前に誰に採寸してもらうといいかわかりません。いろいろな人がいるのでそれぞれの方の考え方、仕事の進め方ひいては能力がみえません。
 専門店はどうでしょうか。敷居が高いのが問題です。飛び込みで行くのも勇気がいります。ただ、本当にいいものを求めている人、今まで量販店やデパートで満足できなかった人はネットで調べてでもこられるでしょう。

 大学は何といっても永久不滅のブランドで老舗のデパートといってもいいでしょう。最新鋭の大型機器が揃っています。一方、チェーンは今までのノウハウの蓄積、スタッフの回し方、薬・機器・電子カルテ(データ)の一括購入・管理などでメリットをもっていると思われます。あるチェーンのオーナーが、耳鼻科は「吉野屋」じゃないと駄目だと、教えてくれたことがあります。確かに「吉野家」のニーズは相当高いようです。今回、「デパート」や「吉野家」では満足できないときに、ふらっと来ていただけるようなクリニックを作ることができたらと考えておりますので、どうかよろしくお願いいたします。
院長室

JUGEMテーマ:ドライノーズ

大学とクリニックの狭間で(その1)

 5月地区医師会に寄稿した文章を2回に分けて紹介いたします。以前にアップしました都耳鼻の寄稿文との類似ありますが、ご笑覧いただけましたら幸いです。


大学とクリニックの狭間で 地区医師会会誌への寄稿文(その1)

 医師会には2006年に入会しましたが当時はB会員でした。丁度、播磨坂近くのクリニックの立ち上げにコミットした時です。その「はりま坂耳鼻咽喉科」の開院まもなく私自身が約半年の育児休暇をとらせていただきました。大学のdutyから解放されたその間は、今頃手術やっているなとか医局会がそろそろ始まるなとか思いながらも、育児とクリニック診療を毎日おこなっておりました。傍らで、医師会の講演会に数多く参加することができましたが、実はそのときの他科の先生の講演で得たヒントが、大学復職後の 主たる研究テーマの一つとなっています。
 振り返ってみますと、藤田保健衛生大学(現藤田医大)卒業後、愛知県奥三河の市民病院、名古屋の下町の法人病院勤務を経て、4つの大学(藤田、獨協、順大、日本医大)の講師、准教授、教授として、留学、育児休暇を挟みながら、得がたい経験を積ませていただきました。その間常に、岐阜市内で開業していた 先代、先々代とは違う耳鼻咽喉科診療がいかにできるかについて漠然と考え続けておりました。

gifustation.jpg​ (2019年5月の岐阜駅前)

 耳鼻咽喉科クリニックに再び関わるようになった今、13年前の当時と比べ素朴に思ったこと以下に記します。
 処方薬はほぼ同じです。抗菌薬は出すこと自体が悪いことのようになりつつあり、ラインアップはむしろ確実に減っています。
 突発性難聴を代表とする内耳性難聴の薬は、30年以上新薬がでていません。そもそも内耳の血流量は心拍出量の100万分の一でしかも内耳血液関門があり、血液を介する薬物投与は有効とはいえません。突発性難聴研究のメッカであった名古屋大学の教授が30年前の学会の宿題報告でだされた治療成績とその2代あとの名大教授の成績は全く変わらなかったようです。どういった状態のひとがどういう治療をすると治るというエビデンスが全く得られていない現在、治るひとは治り治らないひとは治らないといってもよい状況で、医者の力で治ったとはとても思えません。
 癌の治療は進歩していますが、我々耳鼻咽喉科医の扱う頭頚部癌は非常に少なく、かなり流行っているクリニックでも年間数名いるかどうかと言うレベルです。そのため、一大学病院ではがん専門病院の症例数には到底及ばず、しっかりとしたpopulation studyができません。
 一方、アレルギー性鼻炎は新薬が一応でていますが、以前の考え方の薬がほとんどです。免疫療法はご存じのように歴史のある古い治療で、舌下免疫も欧米では特段新しいものではありません。また、非常に高価な抗体医薬は、それを鼻炎だけに使用することに関しては懐疑的にならざるをえません。
 手術はどうでしょうか。炎症性疾患への手術治療の選択はやはり慎重になるべきです。これは副鼻腔炎に対する内視鏡手術の先駆者であるSternbergerが講演で毎回言っています。ただ、手術点数は保険診療の中では上昇傾向にある現在、overindicationになりがちです。

 

JUGEMテーマ:ドライノーズ

日耳鼻学会 〜 大阪の思い出

 今月、大阪の日本耳鼻咽喉科学会に出席した折に撮影した阪神百貨店です。

 34年前まさにここにたっていました。その1985年は、21年ぶりに阪神タイガースが優勝した年でした。リーグ優勝、シリーズ優勝とも金曜日で、翌土曜日に名古屋から大阪駅に降り立ちましたが、道頓堀だけではなくここ梅田界隈でも、六甲おろしの大合唱があちらこちらで湧き上がっていました。

oosaka201905.jpg

 黄金時代到来かと思われたにもかかわらず「カーネルサンダースの呪い」のためか、その後は優勝から見放され、ようやく2003年、2005年に優勝することになります。2005年のリーグ優勝決定の翌日、ホテル阪神で行われた第44回日本鼻科学会(竹中洋会長)の懇親会の模様です。そこでなんと、タイガーズパジャマが当たり、以来うちの家宝にしています。oosaka2005.jpg

大学とクリニックの狭間で ~東京都耳鼻咽喉科医会会誌寄稿より~

今までは大学という特別な場所から提唱していただけのきらいがありましたが、これからは一人で実践していくことになりました。引き続きご教導のほどどうかよろしくお願いいたします。


『大学とクリニックの狭間で』

 都耳鼻に入会させていただいたのは、2006年小石川茗荷谷近くのクリニックの立ち上げにコミットした時でした。その「はりま坂耳鼻咽喉科」の開院まもなく約半年の育児休暇をとらせていただいたこともあり、大学のdutyから解放されたその間は、育児とクリニック診療をおこなう傍ら、都耳鼻や地区医師会の講演会に数多く参加することができました。そのときの講演会で得たヒントが、大学復職後の 主たる研究テーマの一つとなりました。
 私自身も順天堂にいる頃、 「Point of Care Researchからみた耳鼻咽喉科外来診療-From Bench to Clinic –and Back-」と題した拙い講演を都耳鼻の会でさせていただきましたが、その当時より「クリニックで可能な最先端医療の実現」をMottoの一つとしており略歴にも記載しております。
 振り返ると、愛知県奥三河の市民病院、名古屋の下町の法人病院勤務後、留学、育児休暇を挟みながら、4つの大学(藤田医大→獨協医大→順大→日本医大)にて経験を積ませていただきましたが、岐阜で開業していた 先代、先々代とは違う耳鼻咽喉科診療がいかにできるかについて漠然と考え続けておりました。
 今回初めて開設者となり、言うだけではなく実際におこなう立場としてチャレンジすることになります。論文を書かないといけないという脅迫観念から逃れられる一方、死活問題として常に収支を考える必要がでてきました。クリニックのオーナーとしてあるいは開設者として多くの諸先輩のおられる都耳鼻でのご指導をより一層賜りますことを祈念しておりますので、何卒どうかよろしくお願い申し上げます。(上流の医療, 東京都耳鼻咽喉科医会会誌, 2019.2.1)

桜の花

JUGEMテーマ:ドライノーズ

123>|next>>
pagetop